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HEAVEN IN HELL TOTE BAG <TREATMENT/残り△>

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こちらの商品は即興/SOKKYOU制作のオリジナル商品です。
こちらは受注制ではなく即売アイテムですのでご注文後5営業日以内の発送となります。
少数生産ですのでご希望の方はお早めにご注文ください。


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HEAVEN IN HELL TOTE BAG <TREATMENT>
シルクスクリーン/cotton 100%/容量 10L/4.1 oz
縦42/横38/持ち手67cm
※写真のカラーは実物に近づけておりますが、WEBの性質上ご使用のスクリーン設定や環境でカラーが若干異なって見える場合がございます。



【TREATMENT】

即興/SOKKYOUによる補完プロジェクト。
99%のPURENESSと1%のBUSINESSを掲げ以下の効果を期待するものです。
1)古着だけでは伝えきれない即興/SOKKYOUの世界観の補給(99% PURENESS)
2)円安、物価高による経済的打撃へのダメージケア(1% BUSINESS)

当店による、当店を存続するための処方となります。
応援してくださる方、是非ご注文ください。


【HEAVEN IN HELL TOTE BAG 】

TREATMENT第5弾となる本作。
当店がかつて仕入れたビンテージのスーベニアジャケットの背面に刺繍されていた「I KNOW I'M GOING TO HEAVEN,I HAVE SERVED MY TIME IN HELL(人生を地獄に捧げたから、天国に行けるはず)」という言葉をサンプリングしたトートです。

政治、経済、社会、環境問題さまざま、少なからず私個人は自身の視座から日に日にこの世界が地獄に向けて加速していっているように思えてなりません。
これらの混沌に抵抗、あるいは議論、時々適応していくためには心身への負荷が避けられず、そのために私たちはまず個々に信念をもって自立し、大切な人との連帯を親密に、強固にしていく必要があると考えます。

私が強く影響をうけた名著『文化と両義性 』(山口 昌男/岩波書店/1975年) では、たとえば秩序と混沌、記号と境界などについて深く論じています(おすすめです)
この著書ではバタイユの生哲学が参照され、存在を保持するためにはその限界(境界)を越えることによって、はじめてその存在はその本質を立証することができるとまで述べられています。
(余談ですが先日鑑賞した映画「敵」(原作:筒井康隆)も死期によって主人公の本質があぶりだされる点において通じる部分があります)

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「祭式には2つの種類がある。1つは不定期現象を組織するもので、早魃期に行う降雨儀礼などがこれに当る。他の1つは定期的現象で、正月儀礼などがこれに当る。前者に比して後者は比較にならない程の安定性と不可謬性に基づいている。それは、季節変化のリズムに対応した農事暦の上に自らの権威を確立し、多くの文化では、政治的権威の基礎にまでなっている。儀式は最終的には、四季と結びつくとき『完全化』に達する。つまり追放されるべき季節が悪神に見たてられ、穢れを背負って境界の外に立ち去って行くという物語構造は、直接、間接的に1つの儀式の位置を『究極因』的に規定しているというのである」

「日本民俗においても、秩序だった農耕儀礼を中心とする年中行事の合間を縫って、或いは、その一部として、反良俗、反秩序の醸成を前提としているとしか思えないような行事が、組み込まれていた。それらは、年中行事の中ばかりでなく、俗信、迷信、昔話、伝説、巡礼、旅芸人等、様々の『民俗的類型』として、日常生活の秩序に対し、歓迎される、されないの違いは別として、不吉または、異質の要素として侵犯性というイメージを帯びて存在しつづけてきた。しかしながら、これら『徴つき』の習俗を記号論的に読み換えてみると、それらが宇宙論的なレヴェルで、『徴なし』の日常生活に対して持つ意味が明らかになる筈である」

「カーニヴァルの祝祭は、本質的に、転換の意識に付随する両義的な世界感覚の表現である。したがって、この日は、阿呆王を選び出して、戴冠をし、一日中悪ふざけに熱中し、すべての秩序を停止し、混沌をして世界の基調たらしめる。あらゆる価値、人、事物は、それが通常属している文脈から離れて、他の事物と、意外としか言いようのない事物と結びつき、それらが日常生活では現わさない潜在的意味を表面させる。つまり、存在する事物が、日常の効用性の文脈では示さない異貌ともいうべき「響き」が、祝祭日の宇宙の基調となるのである。騒音すらもこの日の意識の過渡的状態を仲介する不可欠の要素になるのである」

「人は、自らを、特定の時間の中で境界の上または中に置くことによって、日常生活の効用性に支配された時間、空間の軛から自らを解き放ち、自らの行為、言語が潜在的に持っている意味作用と直面し、『生れ変る』といった体験を持つことが出来る。遊戯、祝祭、見世物にはそういった境界性の機能が備っているが、逆に、身体の運動が拘束される「病気」においても、―それが日常化しない限りにおいて、人は逆の方向においてであるが、極めて間接的に死の影をかすめるというだけで、似たような体験を持つことができる」

「宇宙の様々な次元(太陽、星辰、植物界、動物界、人間の世界、家屋、身体等)が、それぞれ象徴的・神話的論理で組みたてられていると考えられ、その各々の次元を貫く論理が共通の基盤を持っているとしたら、いうまでもなく、それは、結合と排除の原則である。儀礼的行為といわれるものの多くは、こうした原則を確認するために、原初の状態を再現する行為から成っている」

「すべての時代のすべての文化は、一貫して社会的結合を必要としていたということによって、何故、何時の時代にも人間は、家屋や身体のそう遠からぬ部分に脆弱な部分を作り出してきたかということは説明される。社会は、例えば躾けなどあらゆるレヴェルでの無秩序に対する儀礼的・象徴的・記号論的戦いを奨励することによって生きのびてきたのである。記号はそのための弾丸としての側面を常に持っている。 身体すらも、こうした秩序=混沌の分類に対して例外ではあり得ない。」


(『文化と両義性 』より抜粋)
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すなわち、世界が崩壊へ近づくと漸く人々は力がみなぎる、という両義性について今一度考えてみましょう、という提案です。

膠着した状況を活性化し、文化が本来もつ創造力を回復するために。過度に悲観せずに。
真夜中が朝の母であるように、日常(穢れ/ケ)に祭り(祓い/ハレ)があるように、地獄化する社会だからこそ、浮かび上がる光として当店もあれますように。
HEAVEN IN HELL。


(即興/SOKKYOU代表 点と線)